辺見庸著『青い花』

 
イメージ 1 ★ 先月末四谷で辺見庸の講演会があった。
8月初旬に東京へ行ったばかりなので参加できず、内容が気になっていた。
そこで最新作のこの本を図書館で借りた。
 
今を生きている彼の想いが描かれている。
 
講演会後彼のブログが空白になっており、体調が悪化したのではと心配になる。
わたしはむしろ病を得てからの辺見庸に関心が深くなった。
 
いくつか内容を抜粋しよう。
 
 
 
 
※ ACジャパンがさかんに戦争CMをながしている。「ちょっとした勇気。もうやめよう知らんぷり。信じよう、わたしたちのニッポン!」。 こんなにひとが死んでいるというのに、殺されているというのに、死刑執行は連綿とつづいている。 爆撃があろうが大地震があろうが連日の絞首刑である。 死刑執行の報道のたびごとに、ソーシャル・ネットワーキング・サービスの「いいね!」ボタンが五百万回も押されている。 サムアップ。 貧しきひとびとが「死刑いいね!」をつぎつぎにクリックする。・・・またぞろ新しいオージーたちがたちあらわれつつある。・・・「みくにのいやさかを祈ろう」が新宿の電光掲示板でくりかえし流されたりしている。「バッカじゃなかろうか!」そうさけんだ老人が若い通行人になぐられた。(36~37ページ)
 
※ 屍体のかけらも見つからず、DNA鑑定もできまいまま年月がすぎて、実際上の死者あつかいになってしまった生者たち。・・・たかが榾や粗朶ごときをだれがていねいに鑑定などしてくれようか。 戦火の下で早々と弔いをされてしまった生者。 新聞に死亡広告もでた東京の「死者」が、本人も広告を知っているはずなのに、名乗りでず、別名で別府のおかまバーではたらいていたりする。 坊主が大災厄を奇貨として死者になりすまし、別の生者として黙って還俗して、携帯電話屋をひらいていたりする。(77~78ページ、 辺見庸は「世界を負わず、なにものにもなりすまさず、てらわず、ただたんに一回の吐息のように消えていくもの」としての自分を含むヒトを『ほだ・そだ』にたとえている)
 
※ 一生懸命ひたいに汗してはたらけばなんとか生きていける時代はとっくの昔に終わっている。 ひとりひとり携帯をもたされた「ニンゲン以下」がなんぼでもいる。 難民は難民。 富裕層は富裕層、貧困層は永遠に貧困層だ。 こんなに貧民だらけなのに、階級闘争なんてどこにもない。(85ページ)
 
※ ・・・ポラノンはメタンフェタミン塩酸系塩末ないしこれと相似する薬物を成分としており、かつてのヒロポンに薬効、副作用ともに類似している・・・ テレビ、ラジオは連日、ポラノンのCMソング「明日は咲く」を流している。 この歌は爆撃被災地復興支援や祖国防衛戦争協力をかねており、・・・ しかしごく一部ではあるけれども、「明日は咲く」をけぎらいするひとびともいるにはいたのである。 かれらは反社会性人格障害や敵性思想傾向をうたがわれ、それとなく所属組織や社会から監視されている。 「明日は咲く」への好悪のべつは、とりもなおさず、ひとびとの反社会性や規範意識の有無を判断する基準にもなりつつあった。 「明日は咲く」のインターネットのダウンロード件数はすでに二千万件をこえたという。 うすく哀しく美しい、ポラノンのCM兼祖国防衛戦争ソング。(118~119ページ、 「花は咲く」だけはやめてくださいと編集者に指示されたとのこと)
 
※ チンハココニコクタイヲゴジシエテチュウリョウナルナンジシンミンノセキセイニシンイシツネニナンジシンミントトモニアリ。 ナンジシンミンソレヨクチンガイヲタイセイセヨの語義、文意、含意、声調、語調・・・。 このような文をチンに言わせた者たちの、狂気の〝赤誠〟とうらぎり。 ときに他から言わせられたとされ、またときにチンみずからが言ったともされて、結局、言説とそれを発した主をみんなで鵺(ぬえ)にしてしまい、鵺に食いちらかせて責任をあいまいにする伝統的手法こそ、チュウリョウナルワシラシンミンの血統なのではありますまいか。(143~144ページ)
 
※ わたしたちは税金をはらってボルサリーノの帽子を得意げにかぶってアホなことをだみ声でしゃべくるエテ公や老若の卑しい道化どもを飼ってやっているのだ。 一義的責任はこちら飼い主がわにあるのは言うをまたない。 エテ公や卑しい道化たちを飼うだけ飼って、飽食させ、なにもしつけなかったから、見てみろ、このざまだ。 主と奴(つぶね)、主従が逆転して、いまやこちらが飼われているじゃないか。 主人の目の前で葉巻をプカプカすう老けザル。 ボケザル。 下痢ばかりしている戦争狂の道化。 軍事オタクの同輩。 テレビからひりだされてきた大阪のあんちゃん。 あんちゃんに土下座してあやまる自称進歩的新聞社。 どこまでも図にのるあんちゃん。 道化どもをもちあげるマスゴミ。 模範的国民意識形成機関NHK。・・・ 税金と受信料と新聞代、携帯料金をはらってファシズムを買っている、われら貧しきひとびと。(154~155ページ)
 
講演会ではこのようなことが話されたのだろうか? だとすると、NHKで放映されることはないだろう。
カタルシスを得られたようでいい本だった。
 
 
★ 昨日、2007年第1回歩き旅で宿泊した北海道新十津川町の宿のおかみさんから電話があった。
6年前のことなので、すぐにはぴんとこなかったが、話していると当時の宿の間取りや夕食メニューが浮かんできた。
赤字続きで廃業に至った由。 年恰好は私と同じくらいで、気さくな人だった。
方言のためか、イントネーションが違うせいか、またわたしの耳が悪くなっているのか、電話では半分くらいしか聞き取れなかった。
廃業したとはいえ、わざわざ電話をもらい、とても懐かしく思った。