「シベリア抑留とは何だったのか」ー詩人・石原吉郎のみちのりー畑谷史代著

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★ 石原吉郎という人を知った。
 
1915年静岡県伊豆土肥村生まれ。 1938年東京外大ドイツ部を卒業し、39年応召、入隊。
ロシア語通訳として41年夏ハルビン関東軍情報部へ。
29歳のとき、ハルビンで敗戦、シベリアへ送られ、8年間の抑留生活を生き延び、53年に復員する。
 
シベリアでの生活は、アルマ・アタ~~カラガンダ~~タイシェット~~ハバロフスクと、移動距離は8000kmを超えているだろう。
「走る留置場」と呼ばれるストルイピンカに乗せられ、便所に行けるのは24時間に1回。 こらえかねて留置室の床へ排便した者は、ただちに通路へ引きずり出されて息がとまるほど足蹴りにされたのち、素手で汚物の始末をさせられた。
車内の排便用樽から汚物があふれ、床一面に流れ出た。
汚物にまみれた袋からパンを出して食べ、その床に寝転がって過ごした。
 
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復員直後の石原吉郎。38歳。
 
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晩年の石原吉郎
1977年11月15日、自宅浴槽にて亡くなっているのを発見された。
享年62歳。
著者の畑谷史代さんは45歳の信濃毎日新聞論説委員