東電OL殺人事件(佐野眞一著 新潮文庫)

★ 桐野夏生の「グロテスク」を読んだら、どうしてもこれを読まねばと思った。
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ノンフィクション作家佐野眞一が2000年に発表した作品。

1997年3月8日深夜、渋谷区円山町の木造モルタルアパートで東電OLの渡辺康子(当時39歳)が何者かにより絞殺された事件の始終を追ったものだ。
遺体は3月19日午後5時過ぎに発見され、直後ネパール人ゴビンダ・プラサド・マイナリ(当時30歳)が逮捕・勾留された。
裁判は一審で無罪、二審で無期懲役、三審で無期懲役が確定になるが、2012年再審開始が認められ、同年11月7日に無罪判決が出るまで、ゴビンダは15年半にわたり塀の中に暮らした。
事件からまもなく20年、真犯人は何処に。

渋谷区円山町の地図を広げながら読んだ。
総理を経験した大平正芳、その三男大平明(今は大正製薬相談役で大正に入る前は東電で渡辺康子の上司だった)と渋谷区円山町の繋がり。
円山町の旅館街は、岐阜奥飛騨の御母衣ダムによる水没でやってきた人々が作ったもので、岐阜グループと呼ばれる人たちによる。
ダム→電力→東電、ダム→水没→円山ラブホテル街。

渡辺康子は拒食症でがりがりに痩せていたが、その上に痩せ薬を飲んでいた。
最終章に彼女の心理を考察した文章があるので引用する。
――<・・・私は、1990年代に入ってからの過食・拒食症の激増を理解する鍵のひとつは、彼女たちの母親の迷いの中にあると考えているのです。過食・拒食症の母親は、第二次大戦後に青春期を迎えた人々です。それまでよりずっと多くの女性が、大学まで進み、自分なりの理想を大学時代に培うことのできた世代に属しています。・・・しかし、この世代の女性たちは、それまでの女性の経験しなかったような迷いの中に置かれることにもなりました。なぜなら彼女たちは、学生時代には個人的達成の「大志を抱く」ように励まされながら、他方では伝統的な妻・母の役割(他人に奉仕する役割)を当然のこととして押し付けられ、たいした葛藤も持たずに、妻や母の役割を選んでしまったからです>(『家族依存症』新潮文庫)
<効率優先の競争社会では、人々の心の中に、厳しい自己監視装置が内蔵され、この自己査定によって人々は自らを上級品から規格外れまでに階級区分している。性別に関しても、男女はそれぞれ自らの性別規格にとらわれるようになっている。明治以降、敗戦を経て現在に至るまでの期間、女性は解放されつつあるのではなく、規格化・画一化されてきているのであり、この規格化は自己監視によって自発的に進められている。女性の場合、彼女たちの体型への過度のこだわりは、その顕在的でわかり易い例であるように思われる。神経性無食欲症者、とくにその制限型の患者にみられる「良い子」「かわいい子」へのこだわりは、この規格化が心的内面にまで及んでいることを示している。・・・現代の市民たちは暴力で抑圧されることは少なくなったが、代わりに徹底的な評価で管理され、゛品質″ごとに階層分化されるようになった。この評価は内面化されて厳しい自己評価となり、自らを客体化して他者(社会)にとっての「品質の良い製品」になろうと必死になっている。体を売っているのは、売春婦だけではない。現代市民たちの多くは身体どころか心まで、社会というシステムに売り渡しており、家族はこのような現状適応主義の学習の場になっている>(売春および神経性無食欲症と近親姦)


★ 昨日から腸の調子が悪く、お腹が差し込んでトイレに行っても親指大の便が出るのみで、またすぐに痛くなるのでトイレに座るとまた親指大がポロリ。
医者でもらった便秘薬アミターゼを昨日朝・夕、今日朝と一錠ずつ3回飲んだら、最後は下痢気味になった。
体調が悪いので、ウォーキングにも行かず太極拳もせずじっとしている。