東京散策 その1

※ 1月20日・21日と都内を散策した。

まずは関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼の碑墨田区八広6-31-8)へ。
京成押上線八広駅近くにそれはあった。
加藤直樹著「九月、東京の路上で」を読み、訪れたいと思った。

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碑の傍に以下のような説明文があった。少し長いが書き写す。
ーー1910年、日本は朝鮮(大韓帝国)を植民地にした。独立運動は続いたが、そのたび武力弾圧された。過酷な植民地政策の下で生活の困窮がすすみ、1920年代に入ると仕事や勉学の機会を求め、朝鮮から日本に渡る人が増えていた。(註1)
 1923年9月1日、関東大震災の時、墨田区では本所地蔵を中心に大火災となり、荒川土手は避難する人であふれた。 「朝鮮人が放火した」 「朝鮮人が攻めてくる」などの流言蜚語がとび、旧四ツ木橋では軍隊が機関銃で韓国・朝鮮人を撃ち、民衆も殺害した。
 60年近く経って荒川放水路開削の歴史を調べていた一小学校教員(註2)は、地元のお年寄りから事件の話を聞いた。また当時、犠牲者に花を手向ける人もいたと聞いて、調査と追悼を呼びかけた。震災後の11月の新聞記事によると、憲兵警察が警戒する中、河川敷の犠牲者の遺体が少なくとも二度掘り起こされ、どこかに運び去られていた。犠牲者のその後の行方は、調べることができなかった。
 韓国・朝鮮人であることを理由に殺害され、遺骨も墓もなく、真相も究明されず、公的責任も取られずに86年が過ぎた。この犠牲者を悼み、歴史を省み、民族の違いで排斥する心を戒めたい。多民族が共に幸せに生きていける日本社会の創造を願う、民間の多くの人々によってこの碑は建立された。
2009年 9月 ーー

註1…在日の増加の誘因と考えられる。
註2…絹田幸恵さん(1930~2008年 享年77歳)については以下のサイトに詳しい。

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