「日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩」 リ・ハナ著

 
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★ 昨日は大菩薩嶺を歩き、正確にいえば今朝0:40に帰宅した。
一昨日、行きの車中でこの本を読んだ。
 
北朝鮮新義州で1980年代前半に生まれた著者が、18歳で脱北し中国での5年の潜伏生活を経て、大阪府内で暮らすまでの様子を、2009年春から2012年夏(その間1年の休止期がある)までに書かれたブログで紹介されている。
 
肝心の知りたいことがわからなかったり、疑問も多いが、著者自身が私の子供たち世代なので、興味を持って読んだ。
 
在日一世の祖父母は1920年代生まれで済州島出身だが、日本の植民地時代五島列島に暮し、四男一女を授かる。
疑問の一つは帰国事業も終盤の70年代後半(帰国事業の実態が少しずつ分かり始めた頃では?)に、長女である伯母を除いた家族全員(祖父母、次男・・・リ・ハナの父、四男)が、先に帰国していた二人のおじ(長男、三男)に続いて北へ帰国。 当時リ・ハナの父は大学を終える頃で、恋人もいた。
日本での生活もそこそこ安定しているのに、なぜ帰国を決意したのか。
リ・ハナの父は彼女が17歳の時に失意の中で死亡している。
 
彼女が18歳の寒い十一月末の夜、母、弟と三人で、干潮の鴨緑江を数十分必死に走り、中国側へ。
いくら干潮といえども、走って河が渡れるのだろうか。
丹東市から瀋陽市へ移動し、潜伏生活が始まる。
この間三人はそれぞれの仕事を見つけたり、あちこちを転々と移動する中でバラバラになってしまう。
 
2005年11月30日、著者は日本に来ることができた。
しかし、どうやって? 事情は不明だ。
 
中国では朝鮮族の多くの人に助けられるが、中国の朝鮮族は恩人であると同時に一番怖い存在で、人身売買業者や中国公安が設けた懸賞金目当てに脱北者を密告する人もいる。
 
もちろん日本入国当初は無国籍で、祖父母の故郷である済州島を本籍地と登録し、パスポートの発給を受ける。 しかし、日本にいながら発給を受けたことを省庁に信じてもらえない。
ただし、海外居住者用パスポートで、韓国国内に住む韓国人が持っている13ケタの住民登録番号がなく、住民登録証もない。
韓国に入った同じ境遇の脱北者たちはどちらも持っている。
昔から日本に住んでいる朝鮮籍から韓国籍に変更した在日コリアンは、海外居住者用パスポートで、住民登録番号を持っていないという話は聞いたことがあると、著者は書いている。
韓国の場合、インターネット上での会員登録などには住民登録番号が必要なことがほとんどだそうだ。
 
今年の春彼女は大学を卒業し、30歳くらいになっているはずだ。
別れ別れになった母や弟のことなどもどうなったのだろうか。