イサム・ノグチ

※ 県立ミュージアムイサム・ノグチ展が開かれており、昨日出かけてきた。
80点もの作品を見ることができたが、私はシンプルなドローイングに惹かれた。
作品の素材・技法はもちろんのこと、仕事の多様性に驚いた。

イサム・ノグチ(1904~1988)の父は日本人、母はアメリカ人だが、イサムがロサンゼルスで産声をあげた時すでに父は日本に帰国しており、私生児としての誕生だった。
母は2歳のイサムをつれ来日するが、父は女中との間に次々と子をもうけ、母子は父と別居する。
ハーフへの差別の中で孤独な少年時代を過ごす。

13歳の時母の勧めで単身渡米し全寮制学校に入るも、学校は1ヶ月で閉鎖されてしまう。
コロンビア大学で医学を学ぼうとするが、母は反対し、美術学校を勧める。
(母はイサムの才能を見抜いていたのだろう。)

奨学金を得てパリへ留学したり、日本で13年ぶりに父と再会するが理解し合えない。

日米開戦で日系人強制収容所に入るが、やはり居場所はない。
(この辺り、「禅と骨」のヘンリ・ミトワ[1918~2012]と同じだ。)

1935年頃メキシコの画家フリーダ・カーロ(1907~1954)との恋愛時期もあるが、1951年には山口淑子と結婚するも数年で離婚。

1970年以降65歳を過ぎ、アメリカでも評価が高まり受賞も多くなる。

数年前牟礼にあるイサム・ノグチ庭園美術館を訪れた。
裏手に小高い築山があり、巨大な卵形の石が一つだけ置かれていた。
何だかとても落ち着く場所で、ここが彼の墓かもしれないと思った。


※ 明日から子供達の帰省が始まる。
次男と娘は入れ違いになり、長男はまだ日時の連絡がない。