山田風太郎著「人間臨終図巻」

※ 手元にあるのは徳間文庫版だが、枕元に置いて変な時刻に目覚めた時など読むのに良い。
また旅に出るときも、どこから読んでも良いし、一人分はほんの数ページなので読みやすい。
読んでもすぐ忘れるので、何度でも読める。
古今東西の千人弱の臨終が、4冊に入っている。

六十四歳で死んだ人々の中に、一度読んで忘れられない「小林一茶」の項があるので書き抜きたい。
ーーー小林一茶 [1763-1827]
 十五歳で江戸に奉公に出され、四十九歳で故郷信州柏原に帰って来た一茶は、俳句の世界から外に出れば、金銭的にも性欲にも、エゴイズムと強欲の化身であった。
  故郷やよるもさはるも茨の花
 と詠みながら、三十五年間彼が故郷を捨てていたあいだ働きつづけた腹ちがいの弟の財産を半分取り上げ、文化十一年、五十二ではじめて妻を迎えると、常人には彼の悪路癖の現われではないかと疑われるような記録を残す。
 その文化十三年一月の日記。
「十五(日)晴。三交。
 十六 晴。三交。
 十七 晴。夜三交。
 十八 晴。夜三交。
 十九 晴。三交。
 廿 晴。三交。
 廿一 晴。四交。」
 半生の苦労のために彼は四十歳で白髪になり、五十歳までには歯はすべて抜け落ち、結婚後も、癰、瘧、疝気、疥癬などを相次いで患いながらこの獅子奮迅ぶりである。
雀の子そこのけそこのけ一茶が通る。
 赤ん坊は次々に生まれたが、次々に死んだ。
 長男発育不良二十八日、長女痘瘡一年二ヶ月、次男母親の背で窒息死九十六日、三男栄養失調一年九ヶ月。そして妻は疲労困憊のためか、癪と精神神経症を起して三十七歳で死んだ。一茶は六十歳になっていた。
すでに彼は五十七歳の秋、千曲川沿いの雪道で転び、そのひょうしに中風を発して一時半身不随、言語障害を起している。
  夜の雪しんしん耳は蝉の声
 高血圧のために、彼は耳鳴り症状に悩まされていたのである。
 それなのに彼は六十二歳で再婚し、離婚し、そのあと善光寺の門人の家でまた中風を起した。
 彼みずから書く。
「ふと舌廻らぬやまいの起りて、みな手まねして湯水を乞いつつ、さながら?のありさまなり」
 にもかかわらず、彼は六十三で三度目の妻を迎える。
 翌文政十年九月、不自由の身を駕籠に託してあちこち菊見に出かけ、十一月八日に帰宅したが、十九日から気分が悪くなり、その日の午後五時頃に亡くなった。三度目の発作を起こしたのである。
 そのとき妻は懐胎中で、一茶としては五人目の子供は、彼の死後に生まれた。大変な中風人間である。
 柏原の野山にはすでに雪が深かったろう。
  これがまあつひの栖か雪五尺
ーーー

これを読んで小林一茶のイメージに変化がなかった人は、よほど一茶を知り尽くした人か、あるいは全く一茶を知らなかった人だろう。
まるで従軍慰安婦をも思い起こさせる妻との性交回数を記録し、当然の結果として妻を早逝させ、反省もなく二度三度と妻を迎える。

一般論として、世の男たちは結婚によって女の体をタダで自由にできると勘違いしているものが多い。
若い女性たちは男の性癖を知って結婚すべきで、そういう意味で同棲は奨励されて良い。

DAYS JAPAN広河隆一の場合も然りだが、こういう性癖は彼岸に片脚を入れても続くようだ。