「新カラマーゾフの兄弟」上・下 亀山郁夫著 河出書房新社


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※ 上下巻合わせて1500ページ近いこの大著がAmazonから届いたのは4月中旬が終わろうとする頃だった。4月下旬から5月上旬にかけては子供達の帰省で忙しく、読み始めたのは5月半ばだったと思う。

光文社文庫から別巻を含めた5巻に及ぶ亀山訳による「カラマーゾフの兄弟」が出たのは10年以上前だろう。
すぐに読んだが、とにかく読み終えるのが目的で内容はほとんど理解できていなかった。
読んだ後は長男に回した。

鶴見俊輔はこの本を6回読んだという。
おそらく6回読んで理解したのだろう。
ならば私が1回読んで理解できないのは当然のことなのだ。
いや、翻訳書を何度読んでも私には理解できなかったと思われる。

この「新カラマーゾフの兄弟」が出たのは2015年で、気にはなっていたもののその分量にも気後れし、これは図書館で借りてもなかなか読めないだろうと古本を買うことにした。
読み始めたら面白いのなんの… 雑用の合間合間に読むのが楽しみだった。
読了したのは昨日のことで、ほぼ1ヶ月かかっている。
その間は肺ガンが見つかり、その後の手術に備えた検査が続き、気が滅入りそうになるのも当然だが、この本を読むことでかなり救われた。

亀山氏が指摘する大きなテーマ、「黙過…黙って見過ごすこと」と「使嗾…そそのかすこと」がこの「新カラマーゾフ…」でもなんども出てくる、そのことによってテーマが深く理解できてくる。

小説の舞台は東京・中野の野方駅周辺、時は1995年、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件坂本弁護士一家の遺体発見・windows95の出現など多くの人にとって重い記憶が消化不良のまま残っている。
小説は2本立てで、一つはフョードル・カラマーゾフ一家と思われる黒木家の兄弟、もう一つは亀山氏を想像させる大学助教授Kの手記だ。

今度長男が帰省したらこの本を渡し、光文社のドストエフスキーの翻訳本を持って帰ってもらい、再読しようと思う。
とても良い本に出会えた。