神谷美恵子著「遍歴」

※ 類い稀な才能と精神を持っていた神谷美恵子のことをもう少し知りたくて、みすず書房から出ている著作集9のこの本を読んでみた。

文部省日記という章がある。終戦直後の1945年8月18日から1946年5月23日まで1年足らずの間、文部省の仕事をした時代の日記で、文部大臣または文部次官の通訳として占領軍司令部教育情報部での出来事が書かれている。

彼女を特徴づけているのは語学の才能と20歳の時のハンセン病患者との出会い以来持ち続けた医学を学びたいという意志だ。

いろいろな経緯があり戦後の焼け野原で、生物学者神谷宣郎氏と31歳で結婚生活を始める。

1947年に長男律氏、1949年に次男徹氏が生まれる。夫は1950年ペンシルバニア大学に招かれ渡米。ある夜蚊帳を吊って子供を寝かしつけていると、強姦目的の米兵がツカツカと入ってきた。美恵子はとっさに蚊帳の外へ飛び出して、あらんかぎりの罵倒英語を怒鳴り立てた。

「あなたは私をなんだと思っているのか。戦争に勝ったからといって日本の女をバカにするな!!」

美恵子の英語の剣幕に米兵は呆気に取られて、さっさと退散した。

語学が身を助けたのだ。

 

自身の結核、がん、子供の結核など、そしてそのための金銭の工面、しかしどうみても働き過ぎた。

 

末尾に夫の宣郎氏が書いた「あとがきにかえて」によると、「遍歴」原稿は1979年10月15日朝みすず書房に送られ、その一週間後の10月22日朝神谷美恵子は亡くなった。

 

校正に、次男神谷徹の名を見つけ、どんな人かな?と思い検索したら、京大理学部で学んだそうだが、「ストロー笛奏者」として世界的に有名な方とのこと。

長男律氏は生物学者として父と同じ道を歩んでいる由。