映画「卒業」について

今読んでいる「逆立ち日本人論」(養老孟司内田樹対談)の中に、内田の発言で、この映画に言及したくだりを抜粋する。

『例えば、「卒業」という映画がありますね。あれはユダヤ人のブルジョワ家庭の話なのです。主演のダスティン・ホフマンユダヤ人だし、監督のマイク・ニコルズユダヤ人だし、主題歌を歌っているサイモン&ガーファンクルユダヤ人。あれはユダヤ人の映画なんです。でも、日本で見ている限り、「卒業」はあくまでアメリカ映画であって、アメリカにおけるユダヤ人のあいまいな立場が伏線になっていることは理解できない。そういう人種的な記号を日本人は解読する習慣がありませんから。「卒業」のラストシーンはキリスト教の教会からユダヤ人青年が花嫁をさらってゆくわけで、これは宗教的にはかなりきわどいストーリーなのです。そういうニュアンスは日本人の観客にはまず伝わりませんよね。』

わたしはそういうことは全く知らなかったが、言われてみると腑に落ちる。
最初は、親戚中が集まった主人公の卒業記念パーティから始まったと思うが、その親戚たちの結束が固いというか、関係が濃密な気がした。
すると、恋人もユダヤ人だし、教会で結婚しようとしていた相手の男だけがユダヤ人じゃないことになる。
しかし、恋人(たしかエレーン)の母親は風貌も態度もユダヤ人ぽくなかった。