映画「ハンナ・アーレント」

★ この作品は2012年ドイツ・ルクセンブルク・フランス合作映画で、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督、バルバラ・スコヴァ主演。
 
ハンナ・アーレント(1906~1975)はドイツ出身のアメリカの哲学者で、シモーヌ・ヴェイユと同時代の人。
 
映画はナチスの親衛隊将校で、数百万人のユダヤ人を収容所へ移送したアドルフ・アイヒマンが逃亡生活を送っていたアルゼンチンで、1960年イスラエル諜報機関によって捕えられるところから始まる。
彼女は1961年に始まったアイヒマン裁判を傍聴し、ザ・ニューヨーカー誌にレポートを書いた。
その内容は、アイヒマンが残虐な殺人鬼ではなく、ヒトラーの命令どおりに動いただけの《平凡な人間》なのではないかということ。 さらに、ユダヤ人指導者がナチスに協力していたという新たな事実も記した。 この発表後彼女には世界中からの批判が押し寄せる。
 
この映画のエッセンスは終末部分で、彼女がこれらの批判に対し講義形式で反論を行うところにあると思う。
――世界最大の悪は平凡な人間が行う悪なのです。 アイヒマンのような犯罪者は人間であることを拒絶した者なのです。 彼は思考するという人間の大切な能力を放棄しました。 思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。 私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。 危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬように。――
 
ユダヤ人としては、アイヒマンらを真っ向から非難し、断罪することが当時の常識だったが、ユダヤ人であるハンナ・アーレントはそれをしなかった。
善悪を考える力もない連中の犯罪だったと主張した。
それは単純な正義を振りかざす者に「お前は程度が低いよ」と言うことだ。
あなたもアイヒマンではないですか、と問うている。
 
哲学者ギュンター・アンデルスも言う。
――アイヒマン問題は過去の問題ではない。我々は誰でも等しくアイヒマンの後裔、少なくともアイヒマン的世界の後裔である。我々は機構の中で無抵抗かつ無責任に歯車のように機能してしまい、道徳的な力がその機構に対抗できず、誰もがアイヒマンになりえる可能性がある。――
 
今の日本の状況に警鐘を鳴らす作品だった。