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★ 先日紹介した長野在住のおじいさんのサイト( kaze/kaze/tao.html ) に、--「老子」型人間-- があり、少し長いが引用する。
 


老子はありきたりの日常に甘んじている凡庸な生き方を、人間本来の存在仕方だと考えていた。
老子は、宇宙を貫く根源的な法則を「道(タオ)」と呼び、タオはすべての人間に生存のための基本的な知恵と能力を授けていると強調する。 だから人間は放って置いても、鳥が自然に空を飛び、魚が自然に水を泳ぐように、まわりの仲間と助け合って穏やかな生涯を送りうるのだ。 人間は平凡な日常に喜びを感じ、それだけで充ち足りるように出来ていると老子は保証する。
 
ところが人間には、生得の原型的な生き方に満足できず、衆に抜きんでた存在になろうとする欲求がある。 平凡な生活に軽侮の目を向け、独り上座を狙う上昇欲求を持っている。 老子にいわせると、こうした人間は一種病人であり、自ら破滅を求める「死の徒」だということになる。 原型的な生き方に満足できない人間は、安全な母港を捨てて荒海に乗り出し、難破する愚者のようなものだというのである。
 
老子は世俗が善とする生き方---現状に甘んじないで意欲的に行動する努力家を評価しない。 上昇欲求を放棄して、普段着の楽な姿勢に戻ることを、彼は「帰根」「復命」と呼び、タオの定めた原型的な生き方に還り帰存することを「早服」といっている。
刻苦精励する生き方を捨てて、イージーな生き方、楽な生き方をすることこそが善なのである。
 
なぜ楽な生き方をするのが善であるかといえば、そこに生まれる余力が他者への慈愛として振り向けられるからだ。 老子は自分には三つの宝があると語っている。
上座を狙わず下座に甘んじ、悪あがきしないで節倹に努めていれば、他を愛する余裕が生じる。 だから、下座にあること、節倹すること、他者に慈愛を注ぐことの三つが「三宝」だというのだ。 (以下略)
 
                                    2011.6.24
 


 
陳式太極拳でも、タオは『宇宙に存在する自然の最高法則』とある。
老子が編纂した「道徳経」でタオの概念が示され、人間社会も自然法則に従うものであると説いている。