映画 『有りがたうさん』 清水宏監督 1936

☆ 正月休みに録画していたこの映画を見た。
 
同じ監督の映画に 『風の中の子供』 (1937)があり、名作の一つだと思う。
私文書偽造容疑で父親が留置場に入れられたために、母親が働くことになる。
弟は親類の家に預けられ、母・兄と分かれて暮らさねばならなくなる。
日頃は喧嘩もよくする兄弟だったが、弟のいなくなった家で兄は一人でかくれんぼを始める。
鴨居にかけられた着物の後ろに兄は隠れるのだが、弟恋しさに着物の影で激しく泣き出す。
このシーンは心に響いた。
ありふれた日常がどんなにかけがえのないものか、ということに気づかせる。
 
さて、『有りがたうさん』 はこの監督なので、かなり期待して見始めた。
ところが非常に退屈なのだ。
しかし、しかしである。
ワンシーンだけ、どきりとさせらた。
 
バスの中で、娘の身売りに付き添う母親が茶店でもらった羊羹を乗客にひと切れずつ勧め始める。
皆は嬉しそうに恐縮しながら受け取るが、それを口に入れようとはしない。
この母・娘は控えめでおとなしい雰囲気をもっている。
ところが一人の乗客には勧めようとしない。
その一人とは水商売の玄人っぽい女で、ズケズケものを言う。
女は自分にだけ勧めてくれない皮肉を言ってから、あたしは辛党だからとウィスキーを飲み始め、皆にも勧めるが誰ひとり受けようとしない。
今度はひょんなことから一人が飲み始めると、我も我もと皆が飲み始める。
皆は本当は甘い羊羹よりも酒が飲みたかったのだ。
しかし女は口ひげを生やしたキザな保険屋の男にだけは勧めない。
 
これは映画なのであからさまな表現にしてあるが、日常の社会生活で誰しも似たような場面を経験したことがあるだろう。
わたしはこのシーンを見ただけで、この映画を見た甲斐があったと思った。
このエピソードを入れた清水監督はやはり只者ではない。