『嫌われる日本人』 堺屋太一監訳 NHK出版

 
イメージ 1 ☆ 著者は1950生まれのスイス人、1970年チューリヒ大学在学中に来日。
1975~78年はペルーに暮らしたというBBC常連寄稿者。
1994年に第一刷が発行されているので、20年近く前だが、アジアから見た日本人論が述べられている。
 
訳者は喜多元子という1937年生まれの堺屋太一(1935生)と同年代の女性だ。
 
戦争中のフィリピンで日本兵が何をしたかが次のように書かれている。
――1945年2月初め、何万人ものフィリピン人が日本軍の人質になっていた。
日本兵たちはレイプと殺人の狂宴にふけっていた。 家々に手榴弾を投げ込み、人々が固まって隠れているシェルターを空爆し、不運な市民を建物の中へ押し込めて火を放ち、残りは銃剣で突いたり首をはねたりした。
何百人もの女が強姦されたあと惨殺された。
男はブタさながらに四肢を一緒に縛られ、軍刀で止めをさされるか、単に銃殺された。
性的暴行だけで満足せず、野蛮な兵隊たちは女の乳房をナイフや銃剣で切り取った。
赤ん坊や子供は目をえぐり取られたり、壁に頭を打ち付けて殺された。
全体で15万人以上ものフィリピン市民が虐殺された。
・・・・
ヴェトナムの元外相、グエン・コ・タクは、1986年わたしがインタビューしたとき、非常に印象的な発言をした。
彼が見たところでは、ほとんどのヴェトナム人はヴェトナム戦争中に米軍が犯した残虐な行為に対してアメリカ人を許しているが、彼を含めた同朋の多くは、太平洋戦争中に日本軍に痛めつけられたことに対し、いまだに日本人を許してはいない、と語った。
 
この本を読んだ後、1/24付日経新聞春秋欄に、アルジェリアで犠牲になった日揮社員を悼む言葉が掲載されており、気にかかった。
・・・多くの途上国の政府が、日揮という一企業に絶大な信頼を寄せている。日本人の技術者が現地の若者を徹底的に指導して、その国の未来を担う人材を育てるからだ。・・・
・・・孤独に耐え、相手国に尽くし、日本の価値観を伝えた侍たちのなきがらが、もうすぐ政府専用機で帰還する。・・・
 
亡くなった方たちと遺族の無念に対して言葉がみつからないが、日揮はボランティアに行っているのではなく、稼ぎに行っているのだ。もちろんプラント建設後の先の先までの稼ぎを見込んでのことだ。
 
前述の新聞は、安倍政権の言葉のように聞こえて仕方がない。