「蟻の兵隊」池谷薫監督 2005年

アムネスティ・イベントでこの映画上映を知り、昨日神戸まで出かけた。
なんという理不尽、戦争はこういう不条理も伴っていることを知った。

日本軍山西省残留問題を扱っている。
1945年8月に中国山西省にいた日本軍部隊は、この地方にいた国民党の将軍・閻錫山(えんしゃくざん)に降伏した。しかし、共産党との戦いに日本軍を必要としていた閻錫山は、第一軍司令官澄田ライ四郎(第25代日銀総裁澄田智は彼の長男)と密約を交わし、澄田の戦犯指名を退ける代わりに、2600名の日本兵を得た。
これはポツダム宣言天皇にも背く行為だが、捨てられた兵隊たちはその後4年間共産軍と戦い、550人が戦死、700人以上が捕虜となった。

この映画の主人公奥村和一(わいち)はその2600名の一人で、1948年戦闘で重傷を負い、1954年帰国した。
驚くべきは軍の命令で残留したにも関わらず、政府は志願して国民党軍の傭兵になったのだから、軍人恩給や戦死者遺族への扶助料は認められないと主張し、最高裁は奥村さんたちの上告を棄却した。

映画の後、池谷監督のトークがあり、映画制作の裏話が聞けた。
これがはるばると出掛けたご褒美だった。


※ 次男が先日購入した薪割り機の写真をリクエストしたので、載せておこう。

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腰に負担がかかりにくいのでよい様子。


※ これは2月13日朝の景色。

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この前日の12日大阪に戻る次男と同じ9時のバスで、私も大阪へ行き観劇を予定していた。
バスのダイヤは大幅に乱れ、結局観劇は諦めたが、次男はこの日のうちに職場に戻らなくてはならず、ネット予約では運行していないチケットも取れてしまうので、電話で運行確実の便を取り15時発に乗ることができた。この便は迂回運行で瀬戸大橋経由となっており、中央インターまで送ったが、その後乗った次男からは淡路に向かっているというlineが入った。最後まで乱れ通しだった。