「岩佐美代子」さんを知る
一応1年間は読んでみようと思っている。
今はサービス期間ということで、無料で配達されている。
――ともし火にわれもむかはず 燈(ともしび)もわれにむかはず おのがまにまに――
に出会い、国文学の研究を志したという。
40代半ばで夫に先立たれた後も、研究が救いで、悲しみからの逃げ場だった。
今は夫が私を解放してくれたと思っている。好きな時に寝て、起きて、原稿書きに集中する。こんなに楽しく、幸せな生活はない。
先に紹介した歌は、岩佐さんの現代語訳によると、――ともしびに私は向かっていないし、ともしびも私にむかっていない。それぞれにあるだけだ。――
時に光厳は40歳で出家する。
ともしびと向かい合う孤独な姿は、700年前の作品であるが、現代でも共感できると岩佐さんは書いている。
祖父陳重の故郷宇和島には「穂積橋」という橋が残っているという。
陳重の――老生は銅像にて仰がるるより 万人の渡らるる橋となりたし――の言葉を尊重したということだ。
宇和島を訪れたら、穂積橋を渡ってみたい。
大切なことを書き忘れていた。
岩佐さんが天皇について書いている。
――今の天皇陛下がアジア各地の戦跡も巡られ、頭を垂れていらっしゃいます。ご立派なことです。ただ、これは昭和天皇がなさるべきことでした。「天皇陛下のため」と、多くの人が戦い死んでいったのは間違いないことです。昭和天皇は退位すべきだったと思っています。――