再び岩佐美代子について

※ 岩佐美代子については以前にも書いたことがあるが、また書きたくなったので。

彼女は1926年生まれで、今年1月93歳で亡くなった。

昭和天皇には7人の子がいたが、美代子はその第一子照宮成子内親王(1925年生まれ)の相手をする辞令を受け4歳から13年間務めた。

辞令というのは公式文書なので俸給も出ていたと思われる。つまり4歳から勤め人だったわけだ。

昭和天皇の7人の子供たちはそれぞれ2年ごとに生まれたが、最後の島津貴子だけはすぐ上の常陸宮と4歳離れて誕生している。現上皇は第5子で1933年生まれだ。

多大な影響を受けた照宮成子の死、その後の夫の死を経て、若い頃出会った京極派の歌人光厳院の歌「ともし火にわれもむかわず燈もわれにむかはずおのがまにまに」を足掛かりに京極派和歌・中世女流日記の研究を始めた。

上皇夫妻がアジア各地の戦跡を巡り頭を垂れたことを立派と評価しながらも、これは昭和天皇がすべきことだったといい、昭和天皇は退位すべきだったと言い切った。

やめて坊さんにでもなるべきでした。なんていったって、昔の天皇は、責任は負いましたものね。退位したり、流されたり。(「岩佐美代子の眼」184ページより)

天皇、そしてご一家は、お幸せかといったら、そうじゃないんですから。ただ国のために置いてあるだけなんですから。基本的人権はおありにならないし、やめたくてもその自由もおありにならない。御生活だって、決して贅沢じゃいらっしゃらない。個性も発揮できないで、したいことはできず、公式的にご立派、と認められるような人格だけが要求される。

・・・私はもう、今後は天皇制をなくさなければ、日本人は成長しないと思っています。(同185〜186ページより)

 

今度お札の顔になる渋沢栄一は美代子の父方の曽祖父だが、美代子と顔立ちがよく似ている。

先日ネットサーフィンしていたら美代子の二男岩佐光氏がブログを書いており、三重県亀山市でオーガニックレストランを開いていることがわかった。

岩佐美代子についてはまた書くことがあるかもしれない。