小柳春生氏講演(於さぬき市役所)

※ 気忙しい時期になったが、小柳氏の講演を聞きに行った。
氏は長年香川大学で学生相談カウンセラーを勤めていた。

25年ほど前、小学校PTA活動の一環で彼を講師に迎え、登校拒否をテーマに講演会を開催した。
講演内容は覚えていないが、何かの説明でホワイトボードに「young」と書き、綴りはこれで良かったですかねと言った。
笑いを取ろうと意図したというわけでもないだろうが、面白い人だなと思ったことを覚えている。
好印象を持っていたので、今回のテーマは「ゆっくり丁寧に生きる~シニアライフを心豊かに過ごす知恵を考える~」というものだったが、そんなテーマは私にとってどうでもよく、小柳氏の名前に惹かれ参加を決めた。

今回の話もとても面白かった。
現在彼は67歳だが、4年前肩の痛みに始まる原因不明の病気で、歩けなくなり、半身不随の生活が一月続いた。
一ヶ月後に「リュウマチ性多発筋痛症」とわかり、ステロイドの処方を受けながら、現在もリハビリ中だという。

以下印象に残った事を記したい。
・老年期は、自分が進む道を自分で選び、希望や夢に代わる支えを見つけていかなければならない、残酷なほど「生きる本質」がむき出しに迫ってくる時期。
・次々に迫り来る膨大な情報の処理や絶えざる判断は心に負担の大きい作業である。家電製品や情報機器などで武装し半ばサイボーグ化することで頑張ってきたが、そろそろ限界に近づきつつある。こうした厳しい生活に心がくたびれた状態が抑うつである。
・生き延びるためには速さを落とすしかないが、これを実現するにはこれまでやっていた事をやめて、生活を小さくするしかない。

というわけで、氏が50歳から始めたことは
① 役職・肩書きを減らす。
② コレクションと本を減らす。
③ 人間関係を減らす。
④ テレビなどの情報から遠ざかる。

逆に、始めたこと・増やしたものは
① ボーッと何もしないで過ごす時間
 ーー家族に「老後はわがままに贅沢させてほしい」と無理を言って、隠居所に薪ストーブをつけた。家族が起きる前に前日の灰を出し、そだから徐々に太い木へと火をつけてゆく。家族が起きてくるまでの間、お茶をすすりながらゆらめく火を眺めて過ごす時間は何にも代えがたい。もちろん家族が寝静まった後のウイスキーも捨てがたい。ーー
② 産直やスーパーでの買い物
 ーー賞味期限切れが近いものを割安で手に入れるのも楽しみだし、桑の実のジャムを作ったりするのも楽しい。ーー
③ 少ない人数での「質の良い会話」を楽しみたい
 ーー質が良いとは、話が噛み合っていること、伝えたいことが相手に正確に受け止められていることである。ーー

失敗だったかもしれないこと
① 土地の買い増しとリフォーム
 ーー50歳の時に隠居所として現在の家を買った。かなり広い土地付きだったが、お金が足りなかったので、家が建っている部分だけにして、5分の4はあきらめた。
10年が過ぎ、残りの土地が売りに出され、金額も下がっており、思い切って買った。しかし、長く人の手が入ってなかったので、2メートルにも伸びた雑草を刈ることから始まった。
この草刈りに費やす時間は大変なもので、体調を崩した遠因の一つかもしれない。ーー
② 薪の調達が難しくなってきた
 ーー体調を崩してからは薪割りや配達を人に頼んでいる。ーー
③ 予定外の医者通い
 ーー65歳を過ぎた頃から体のあちこちに小さなほころびが目立つようになり、健康保険や介護保険を含めて医者にかかる費用と時間がだんだん重くなっている。ーー
④ 車の運転がいつまでできるか
 ーー山で暮らすために軽トラと乗用車の2台を持っている。これもいつまで運転できるか気になってきた。年金暮らしでは車検や保険料も負担感が増している。悠々自適とは程遠い生活。ーー

最後に、ーーこの社会の風潮に流されず、むしろ積極的についてゆかないと腹をくくる。ゆっくり息をし、歩き、話し、食べる、そして自分の身の回りの世話をし、身ぎれいに暮らす、これが丁寧に生きるということではないだろうか。ーーと締めくくった。

共感する点が多く、楽しい時間だった。
病をはじめ、人生何が起きるかわからない。目一杯でなく、何が起きても慌てないゆとりを持ちたいと、強く思った。


※ 数日前、若い女の声で古着を買い取りたいので、1着からでもいいので、ありませんかと電話があった。いろいろ処分したいものもあったので、時刻を指定した。
その指定時刻の30分前に、今度は男の声で古着だけでなく貴金属はないでしょうかと電話が入った。そんなものは全くありませんと答えると、唐突に電話が切れた。
案の定、狙いは貴金属だったようで、指定時刻には誰も来なかった。

見つくろって出しておいた衣類は、近所の縫い物を頼んでいるおばあさん(年明けに85歳になる)宅に着れるものがあればと持って行った。
夫が若い頃着ていたコートは7万円余りしたもので、どうしても捨てられなかった。
私より15歳ほど若い息子夫婦がいるので、利用してもらえるものもあるかもしれないと思いながら。おばあさんは、もう針に糸が通らなくなってと言うが、83歳で亡くなった私の母と比べるととてもしっかりしている。足の裏の土踏まずに悪性のガンができ、取り除いて以来、毎月抗がん剤を処方してもらうために病院に行っているが、90歳の夫とともに、息子夫婦と別棟でしっかり自立して暮らしている。