「明治維新150年を考える」姜尚中講演

※ 今年7月福岡で開かれた姜尚中の講演をラジオで聴いた。
彼は最近「維新の影」という本を上梓したので、内容はそれに近いと思われる。

姜は三池炭鉱が廃坑になったあと従事していた人々はどこへ行ったのか?の疑問に旧東ドイツへ行った人々を知り、その子孫の存在を確認した。

この話を聞いてまず思い出したのは上野英信著「眉屋私記」だ。
この本の主人公は山入端萬栄(やまのはまんえい)で、1907年19歳でメキシコへの移民となり、炭鉱で働いた。その後メキシコ革命に巻き込まれ、政府の雇い兵となりキューバへ脱出。カストロが革命政権を樹立した1959年自宅で病没、71年の生涯を閉じた。
萬栄の妻、娘、孫娘たちは革命の嵐を逃れて、西ドイツ領ベルリンに去った。
つまり炭鉱離職者はラテン・アメリカ諸国のみならず、ヨーロッパへも流れていったのだ。

産業革命とはエネルギーの発見だが、石炭→石油→原子力へと変化してきたエネルギーをどうするのかが今問われている。
炭坑節「♪月が出た出た…」は女性の労働歌で、女性なしには炭鉱労働はあり得ない。
それは山本作兵衛氏の絵や上野英信の著作からも明らかで、初期は囚人労働で成り立っていたが、その後の主体は女性である。
これは富国強兵政策の下、製糸工場の労働を担った10代前半の少女たちをも思い起こさせる。

姜尚中はドイツに留学していたこともあるので、ヴァルター・ベンヤミン(1892~1940)というピレネー山脈で謎の死を遂げたドイツの思想家の碑文も紹介している。ーー名もなき人の記録に敬意を捧げることは有名な人に敬意を捧げることより難しい。しかし歴史の構築は名もなき人に捧げるためにある。ーーと残されている。

また漱石研究の観点からは、漱石は叙勲をはじめ力のある人と関係を持たなかった。
帝大の文学博士号も拒否し、官よりは民の立場を重んじた。
当時の総理大臣・西園寺公望が主催するサロン会「雨声会」に文人たちを招待した際、断った句がこれだ。
「時鳥(ホトトギス)厠半ばに出かねたり」
自分は今トイレに入って忙しいのでそんなところには行けない。
豪快な返答だ。
漱石の財閥嫌いも有名な話だという。