「ぼけますから、よろしくお願いします。おかえりお母さん」信友直子著
※ P130にあったーー愛せなくなることの意味ーーを引用したい。
・・・もし母が認知症にならないまま亡くなっていたら、いい思い出ばかりが残りすぎて、悲しみと喪失感で耐えられなかっただろうと。
乱暴な言い方ですが、認知症になったことで大好きな母は、私の中で少しずつ死んでいったように感じるのです。これはもしかしたら「神様の親切」なんじゃないか?神様は母の姿を徐々に変えていくことで、少しずつお別れさせてくれているんじゃないか?
母がこの世からいなくなってもそれほど悲しまなくて済むように、「緩やかで諦めのつく死」を用意してくれているんじゃないか?
こんな考えをするのは親不孝かもしれません。でも、親の醜態を目の前にして心の平穏を保つには、こんな風にとらえるしかなかったのです。正直、藁にもすがる思いでした。
そして実際、母が亡くなった時(母は2020年6月14日に死去)、自分の予感は正しかったと知りました。私の心を占めたのは、悲しみよりも安堵だったのです。
・・・
これを読んで私はとてもホッとした。
私も全く同じだったから。私の場合、ひとり暮らしが難しくなった母を1996年夏引き取った。当時母は70歳だったが、物忘れがひどく、自分の勘違いのせいなのにそれを認めず、近所の人や周囲と衝突することが増えていた。
8年間我が家で同居し、その後5年間を特養でお世話になり、2009年12月29日83歳で亡くなった。
私の連れ合いは農家の次男坊だったので、私の期待通り母を引き取ることには困難もなく、何の協力もしてくれなかったけれど、文句を言うこともなかった。
信友直子さん、書いてくれてありがとう。映画だけではこういうことはわからなかった。