「イェルサレムのアイヒマン」

★ ハンナ・アーレント著 大久保和郎訳 みすず書房

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ハンナ・アーレントについては以前にもブログに書いたことがある。
この本は、ホロコーストで数百万人のユダヤ人を強制収容所へ移送する指揮を担ったアイヒマンが、エルサレムで受けた裁判を、傍聴したアーレントによる裁判記録だ。

日常生活で、彼女の言葉を思い起こすことが多くなっている。
――あなたもアイヒマンではないですか?――

訳者が解説で述べている。
――圧倒的な組織と統制(管理)の時代にあって、どのようにして一人の凡庸な市民が想像を絶する悪の実行者になり得たかを彼女は報告しているのであり、そうした平凡な悪人、陳腐な悪の出現がわれわれの時代の特徴的な現象であると警告しているのである。――

アーレントも言う。
――彼(アイヒマン)は愚かではなかった。完全な無思想性――これは愚かさとは決して同じではない――、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ。――

昔、あるサークル活動のメンバーにMさんがいた。
これは一つの例だが、自分たちに無関係なある人に大きな不幸があったとする。Mさんはそういう場面で、「私たちでなくてよかったね。」という言葉を発する。
こういうとき、私はいつも皮膚を逆なでされるような不快感を味わう。
この感覚は上手く説明できないが、Mさんに帰す言葉が見つからない。

「悪の陳腐さ」を考えるとき、Mさんを思い出す。