夏目漱石著「硝子戸の中(うち)」

漱石は1867.2.9~1916.12.9を生き、49歳で没した。
その間日清戦争日露戦争第一次大戦と、戦争と同時代を生きた。

この作品は修善寺の大患(1910.6)の数年後1915年1月から2月にかけて書かれており、第一次大戦の最中だ。大患の年には大逆事件がでっち上げられ、幸徳らは翌年処刑される。
作品の内容は過去の人々との出会いや別れ、身の回りの小さな世界が描かれている。
若い頃の私なら、この作品に何の感慨も抱かなかっただろうが、今回はしみじみと読んだ。
それは小さな世界を描きながら、大きな世界との繋がりを感じさせるとでも言おうか。

学生時代教養部の心理学の試験で、ーーりんごと地球を完全な球と考え、それぞれ紐で一周し1mをプラスし、それを球の外側におく。この時紐と球の間にできる隙間はりんごも地球も同間隔だが、このことが信じ難いのはなぜか?ーーという問題が出た。
これは2009.2.8の本ブログでも書いており、(読んで見るとそれ以前にも書いている)ようだ。
つまり、小さな世界と大きな世界は繋がっているということ。
私たちはこの両者を同等に考える思考を苦手とするが、物事を見抜くにはそういう思考が大切だということ。

漱石の句で「菫ほどな小さき人に生まれたし」という好きな一句がある。
他に、「ある程の菊投げ入れよ棺の中」もそそられていた。何に対してかというと、もちろん漱石にとってどういう人が亡くなったのかということだ。
今回この本を読んでいて、その人が大塚楠緒さんという35歳で没した人妻の歌人であることがわかった。

漱石は実に辛い嫌な時代を生きた。
そして現在も実に嫌な時代だ。
今年96歳を迎える瀬戸内寂聴は長い年月生きてきて、いまほど嫌な時代はないという。