「ショーシャンクの空に」

★ ここのところ刑務所参観をする機会が多いせいかこの映画が見たくなり、以前録画したDVDを探して鑑賞した。
やはりいい。 夫もいつの間にか自分の部屋から出てきて見ていた。

主人公の元銀行員アンディは「刑務所といえども音楽と希望を奪うことはできない」と言う。
そして、自らの懲罰房送りを覚悟して、刑務所中に「フィガロの結婚」を鳴り響かせる。

この「ショーシャンクの空に」DVDの隣に、TV番組を録画した「加藤周一」があった。
これも見たくなり、後日再見した。
内容は1968年の世界を評論したものだった。
特に、チェコスロバキアをロシアが戦車で蹂躙したプラハの春の破壊についてだった。
その中で彼は言っている。
――明治以来の日本は非人格化・非個人化・非人間化を進めてきた。代価を支払って経済発展や軍事的な力をもつようになったが、何を犠牲にしてきたか。 人間らしさを世界の中に再生させねばならない。――

なぜショーシャンクの映画から加藤周一の言葉に繋がるか?
それはつまり、アンディが言った音楽と希望、それはつまり人間らしさということだ
加藤周一は明治以来の日本は、一貫して人間らしさを破壊していくことで経済発展してきたと言っている。

長男が高校3年の時、担任は英語担当の若い女性だった。
この先生は競争を煽り、勝ち抜いて行けというタイプの人だった。
この先生に限らず、学校現場は圧倒的にこういう人が多い。
対して、長男は小さいころからアニメ「一休さん」のファンで、「慌てない、慌てない」というセリフがお気に入りだった。
長男と担任の先生は合わなかった。

明治以来の日本の目指すところは学校現場がまず狙われる。
つまり学校は非人格化・非個人化・非人間化が推し進められてきたのだ。

1969年1月16日 バーツラフ広場で20歳のヤン・パラフはロシアの蹂躙に対し、抗議の焼身自殺をした。 彼は夫と同じ1948年生まれで、まさに団塊の世代だった。

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2010年2月 次男とバーツラフ広場を訪れ、日本から持参した蝋燭と線香を手向けた。
マルタ・クビジョバのプロテストソング「ヘイ・ジュード」のCDを探して店をまわったが、プラハにはなく結局帰国してからネットで購入した。