高橋順子著「夫・車谷長吉」

⭐ 43歳になって間なしに、男はある女の詩を読み作者に恋した。
男は絵手紙を女に送り、以後毎月一通を一年近く送り続ける。

男は車谷長吉、女は高橋順子。

初めて絵手紙を出してから5年目を迎える年、男は「鹽壺の匙」を書き、その後出家するつもりでいた。
この作品が三島由紀夫賞を取った。
まもなく女は「この期におよんで、あなたのことを好きになってしまいました」と手紙を書いた。
それは若かった頃に失った恋の過ちを繰り返すまいとしたゆえのものだった。
男は「もし、こなな男でよければ、どうかこの世のみちづれにして下され」と返事を書く。
その3ヶ月後、駒込での新婚生活(男は48歳、女は49歳)が始まった。
しかし男はその時から心臓の痛みがあった。

西武セゾングループからの失職に怯え、その後キネマ旬報社に勤めるもまたも退社。
その間心臓発作は続く。男がそのため入院した折、女は競馬場に繰り出し、朝寝もする。
こういうところがなければ、二人は確実に共倒れになっていただろう。

51歳になる半年ほど前、男は強迫神経症を患う。
「足の裏に付喪神が付いた」と手を洗い続け、幻聴と幻覚が起きる。
結婚して2年4ヶ月、この結婚は呪われたものになったと女は書く。
「このままではあなたを殺すか、自殺するかだ」の男の言葉に、女は3本の包丁を隠す。
男はアロエを怖がった。その棘が毒素を撒き散らしているという。
女は問う、「アロエは私ではないの?」
男は「頭のええ女は必ず手抜きする」とも言う。

男が52歳を迎える年、女は「苦労も厄も引き受けようと思う」「私は長吉の狂気の原因の一つであり治癒の条件の一つでもある」と決意し、自覚する。

男は53歳を迎える年、「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞を取り、5年後には映画化もされ、この作品は男の代表作になる。

54歳の年、千駄木に家を買うが、「人を殺したくてしようがない」などと言う。
カブトムシを拾ってきて「武蔵丸」と名付け、二人で大切に世話するが5ヶ月後に死ぬ。
男は一気に30数枚の作品「武蔵丸」を書く。女はこの作品が一番好きだと言う。

55歳の年は伊香保の宿でテントウムシを2匹捕まえ、キャベツなどを与えていたが1週間後に死んだ。

56歳の年は、3匹いたガマが2匹増え5匹になる。
心労が重なり、男は吐いたり、吐血、下血。
濁り酒を飲んで泥酔し、十二指腸潰瘍にもなり、食事制限が必要になるが男は言うことを聞かない。
女もストレスで脱毛。

男は前立腺肥大を患ってからズボンの前を閉めなくなった。
女は下着が直接見えないように、紺色の布を下着や股引の前に縫い付けて垂らした。
それでも連れ立って歩いていると、お連れさんの前があいてますけど…などと指摘を受ける。

59歳の年は、各氏から名誉毀損などで提訴された。

60歳の年は暮れにピースボートに出発したが、女は何か厄払いをしないと、この結婚は破局を迎えるだろうという強迫観念に脅かされた。
翌春帰国し、近所に預けてあったナマズもミミズもメダカも無事だったことに安心する。

63歳を迎える春、2ヶ月半の四国巡礼をする。
女は結婚生活の中で一番幸福なのがこの旅だったという。
旅の間は男の精神状態が最も安定していた。

64歳の年、男はズボンの前を締めるようになっていた。
もう布垂れを外しましょうかというと、そのままがいいと答えた。

65歳の年、講演や出講もすべて断る。
車谷長吉全集」全3巻上板。
酒量が上がる。

66歳の年、アルコール性肝炎で禁酒を申し渡される。
秋にはタバコを完全にやめた。

67歳の年、春「もう体しかなくなった」という。頭の中の物質が流れ出してしまったような感覚。

68歳の年、何でも早くとせかし、睡眠薬も昼から飲んでしまう。

69歳の年、朝ビールのロング缶を4本飲んだ後、目がうつろになり、ヨダレを垂らし、汗びっしょりになる。男は怒りっぽくなった。

70歳を迎える年、正月明け女が帰宅すると男は泥酔し倒れていた。
2月、ドンペリニヨンを飲み干し、道路に倒れていた。
3月、男は精神も肉体もコントロールできず、女も入眠剤を飲んでも眠れない日が続く。
5月17日、朝いつものように二人で散歩に出るが、男は小銭をねだり引き返す。コンビニでビールを買って男は家に戻る。
女が7:15ころ散歩から帰ると玄関に鍵がかかっており、男は倒れていた。
女は脈をとる冷静さもあった。もう慣れた状況だったと思われる。
呼びかけに応えないと救急車を呼ぶ。
救急隊員は口の中を懐中電灯で照らして、イカの足を1本ひっぱりだした。
イカは芋と一緒に炊こうと、解凍していたものだという。
三角コーナーに噛みちぎられたイカの足が捨ててあった。


⭐ この作品を読んだ直後の新聞に、全盲ろうの東京大教授、福島智氏の近況を書いた記事が掲載されていた。
ーー東京大先端科学技術センターでプロジェクトを任され、活躍が期待された時、体調に変化が起きた。
不意にめまいがし、エネルギーが切れたように動けなくなった。2年後、診断されたのが「適応障害」。
(皇太子妃雅子さんの病名で広く知られるようになった。)

ストレスが原因で感情や行動が制御しづらくなる精神疾患だ。精神は強い、と自負していたが、意志の力とは違うところで脳は影響を受けるのだと実感した。
適応障害は断続的に再発し、つらい時は大学を数ヶ月休んでいる。ーーとのこと。

人は何と勁く、何と脆い生き物なんだろう。